菊池氏は「表参道のケヤキは今の3分の1くらいの高さだった」と振り返る
現『コム・デ・ギャルソン青山店』の土地に存在した同級生宅の庭で走り回る。また、アメリカンなスーパー「ユアーズ」でコーンフレークを食べ、「将来はコーンフレーク屋さんになりたい」と思う
それからCA4LAをオープンさせるまで、原宿に訪れることはほとんどなかったという
「アメリカの香りがする街、という記憶です。当時は代々木公園に米軍ハウスがあって外国人だらけ。ラフォーレ原宿はまだなくて、代わりに大きな教会が建っていましたから」
「原宿セントラルアパート」とは、現在「東急プラザ表参道原宿」が建つ土地にかつて存在したアパート。クリエイターの間では60年代から70年代のカルチャーを象徴する建物として今も語り継がれており、当時はこの街を代表する建物であった
喫茶店『レオン』で舘ひろし氏や岩城滉一氏と交友関係を深める
のちに三菱商事からケンタッキーへ出向。そこで提出した企画書が社長に認められ『Soup Stock Tokyo』開店に至る
山本寛斎氏、矢沢永吉氏を間近で見る。70年代の原宿の虜になり今でも歴史を伝える活動を行う
のちに「自分が生まれ育った街への恩返しがしたかったから」という理由で渋谷区長となる
のちに全国誌の編集者となり、「お小遣いを貯めて地元から原宿に出かけた当時の自分」が読みやすい誌面づくりを心掛ける
COMME des GARCONS、Y'sなどのDC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドが、画一的だった「洋服」の概念を壊し、大ブームに。そのブームを先導した男こそ、MEN'S BIGIのデザイナー・菊池武夫氏
ちなみに、H.P.FRANCEの「H.P.」は「原宿プロジェクト」のイニシャル
待ち合わせはいつも伝説の喫茶店「レオン」。
設計は槇文彦氏。ロゴデザインは仲條正義氏
高3で『Smart』にスナップされ読モデビュー。その後『CHOKi CHOKi』の初代”おしゃれキング”に
「当時一番流行っていた店で、お客さんたちもみんなカッコよくて、あそこに通ってないとオシャレじゃないと思っていました(笑)。あとサンドイッチ屋の『バンブー』もとてもオシャレで、ちょっと高いけど頑張って通っていましたね」
『STREET』で東京に蒔いたファッションの種が育って"実"をつけた…そんな想いで『FRUiTS』
しかし、裏原カルチャーのパーティーには女の子がいないという理由で、米原氏はすぐに行かなくなる。
「エネルギーは感じたけど、『お前ら何者なの?』『雑誌に出たから何なの?』っていう」。一方で、裏原ブランドでスターになっていく同世代たちからは刺激を受けたと語る。
「上野が賑わっていた時代は、偽物やアメリカ”風”の商品でも通用していました。しかし、90年代後半になり、ヒップホップ系、スケーター系などのストリートファッションが流行すると、本物のアメリカ文化が成熟してきていた原宿に勝てなくなってしまった」
「『なんて理不尽な世界に来てしまったんだ』と涙目で街を睨みつけていましたよ(笑)。表参道・原宿は、新しい世代の個性を育てていこうという意思がある分、決して甘やかさない街でもあるんですね。だからこそ、才能を開花させる若者が多いんだと思います」
翌年には日本初のオープンカフェとして1970年代に人気を博した『カフェ・ド・ロペ』の跡地に『モントーク』をOPEN
現在は渋谷区で最も子供が訪れる公園「プレイパーク」、NIKEとタイアップしてリニューアルさせた「みやした こうえん」、日本トイレ大賞(昨年度国が創設)を受賞した「公衆トイレネーミングライツ事業』、そして『同性パートナーシップ条例」など、長谷部氏の功績は数え切れない
原宿系女性ファッション誌『mini』のモデルたちにメンズの裏原ブランドを着用させ、おしゃれかつセクシーに撮ったフォト雑誌は、創刊号から13万部のヒット。
シトウ氏がフォトグラファーになるきっかけを作った人物は、ストリートスナップ誌の先駆的存在『STREET』の編集長・青木正一氏
青山通りと表参道を繋ぐ「青参道」。村松氏はこの道の名付け親であり、ここでは毎秋「青参道アートフェア」が開催される
「ACE HOTEL」(世界中の旅行好きを魅了しているホテルグループ)の創設者・アレックス・カルダーウッド氏から「Good small space」と賛辞を贈られたことも
その後もオモハラの様々な壁・ウインドウにLy氏のモンスターが描かれる
「青山に150坪なんて一流のラグジュアリーブランドが借りるもので、フラワーショップが借りるなんてバカな話。でも、骨董通りを抜けてこの裏道を散歩していたら、スケルトンになっているこの物件を見つけて、一発でフォーリンラブしてしまいました(笑)」
「BLUE BOTTLE COFFEE」の設計で知られる建築家・長坂常氏(スキーマ建築計画)を起用
「感度が高く新しいものを探している人が集まるこの街で、僕も誰かに刺激を与えられたら名誉なことだと思っています」
「訪日外国人たちを見ていて、渋谷は写真を撮る場所、原宿は物を買う場所=お金を使ってくれる場所になっていると感じた。それから、若い人たちが普段SNSの中だけで表現している独創性を発揮して許される街」
コンセプトとして掲げたのは、"等身大の社会貢献の日常化"を意味する「ソーシャライジング」。そして、この構想を成功させるに当たり、「絶対キャットストリート近辺に」とこだわっていた
「僕としては、表参道・原宿にはカウンターカルチャーがあってほしい。銀座や新宿でDCブランドが流行った時代に、対抗して裏原宿のカルチャーが生まれたように。だから『表参道が盛り上がったなら、次は"裏表参道"』というようなカウンター精神を持って、この計画に挑戦したいと考えています」
「80年代の表参道・原宿を大きく盛り上げた”歩行者天国”を復活させたい。全国から人が集まる大きな施設が増えるのもいいことですが、僕はカルチャーはストリートから生まれるものだと思っているので。クールスとかキングギドラとか、山本寛斎とか、身近に見てきましたからね。スターが生まれる街であり続けさせたいんですよ」
「青山通りをカルチャーストリートにできないかと計画しています。渋谷からアートを見ながら歩いていくとオリンピック会場に辿り着く、そんな動線を作りたいんです。ちょっと脇道に入ると、倉庫やテントの中で、まだ評価されていない若い才能のアートが楽しめる…青山通りをそんな道にしたい」
「若い頃、いつかあのビルの上にあるバーでお酒を飲みたいと思っていたのに、いつの間にかなくなってしまっていました。なので『きっとこんなバーなんだろうな』と当時妄想して思い描いていたバーを、自分で再現したいですね」
「日本の斬新な若者文化を発信し続けている場所という意味でも、十分に文化的な価値があると思います。建物が次々と生まれ変わっていく街ですが、ラフォーレ原宿は取り壊されないよう世界遺産に認定させて、伝説の場所としてずっと残っていてほしいんです」