【私の原宿】現代アーティスト・サワイダイスケが語る、街を遊ぶスケーターの眼差し 幼少期の記憶と原宿ストリートカルチャー
(2026/05/22)
サワイダイスケ
1983年秋田県生まれ、東京を拠点に活動。2006年駒澤大学法学部政治学科卒業。人と文明の関係性を制作の中心に据え、蓄積されたスケートボードの身体的経験を起点に、人と文明の関係性を探求。人類史の火を「connector」として再解釈し、文明への違和感や人類の在り方、希望のかたちを作品を通して問いかけている。複合文化施設 SPIRALによるアートフェスティバル「SICF26(2025)」にて出展者100組の中からEXHIBITION 部門グランプリ受賞。2026年5月24日(日)まで個展『BURNING SWEET LIFE ‒ Connection to Hope / 希望への接続 ‒ 』を開催。@daisuke_sawai_

視点を与え、認知領域を拡張してくれた街
秋田県に生まれた私は父の仕事の都合で6歳の時に千駄ヶ谷に引っ 越してきました。
秋田に住んでいた頃は家の近くの小さな山で虫を捕まえたり、 海で泳いだり、 雪が綺麗な結晶の形で降ってくることに感動したりして過ごしてい ましたが、 千駄ヶ谷に引っ越してきてからは都会での暮らしになったので少し 戸惑いもありました。
家からすぐに表参道や原宿、そして渋谷に行ける環境でしたが、 小学生の頃は自然が残されている場所を探して遊んでいました。 新宿御苑でも良く遊んでいましたが、 東郷神社の池でしょっちゅうザリガニ釣りをしたり、友達と“ドロケイ”してる時にめちゃくちゃでっかい白いヘ ビを見つけて、「神様だ!」と思ったり。都会の中でどうやって遊ぶか、 どこだったら自分らしく遊べるのかに夢中になっていた気がします 。
中学、 高校にあがると2個上の兄の影響もあって裏原宿のカルチャーに夢 中になりました。 あの頃は裏原宿のファッションとスケートボードのカルチャーにメロコアやヒップホップの音楽が絡み合っていて、 とても刺激的でした。
この頃からスケートボードをはじめて、 青山の銀杏並木にボックス*1やレールを置いてローカルスポットを作りました。 夜しか滑れない場所でしたが、 青山に数人集まって夜から朝方まで良くスケートしていました。
スケートを始めてからは特にストリート*2のスケートボードに魅了さ れて、 スケートボードで出来る事が増える度に原宿や青山のストリートの スポットで何が出来るかを試して遊んでいました。それは小学生の頃に自然と遊べる場所探しをしたときと似た感覚。街を見る視点はスケーターとしてのものですが、 今ある環境や都市の中で、自分に何が出来るかという視点の根幹は変わって いない気がします。 そしてこの視点はこの街によって作られたものだと感じています。
この街とスケートボードが、私に物事を見る視点を与え、 私の認知出来ていた世界を拡張してくれました。 今はアーティストとして活動するようになり、 千駄ヶ谷を離れましたが、2025年に行われたSPIRAL主催「SICF」での受賞を経て、私を育ててくれた街で作品を発表する機会を頂いたことはとても 光栄です。
展示を訪れた小さなお子さんや小学生が私の作品の前に立つとき、私はつい、あの頃の自分を投影して眺めてしまいます。私の作品がこの街の人たちの目にどのように映り、 都市に暮らす自分自身と発展する文明との関係について思考するき っかけになるのか。その広がりを見届けつつ、遊び場を探して走り回った幼少期、あるいはひたすらスケートボードをプッシュしていた頃のように、私の創作と探求は続いていくでしょう。
Portrait photo:Takeshi Abe
Skateboarding photo:Natsumetic
Text:Daisuke Sawai
*1スケートボードのトリックに使う木製の箱。
*2パークではなく街の路上を滑るスタイルのスケートボード

























