幼少期の記憶 八百屋とVANと、自由な青山の原風景
今や世界有数のハイブランドが軒を連ねる青山・表参道。しかし、和多利姉弟が過ごした1960年代から70年代の風景は、今とは全く異なる「生活」と「熱狂」が共存する場所だった。
「そりゃもう地味な街でしたよ」と浩一氏は笑う。

和多利浩一(以下:浩一):「新宿御苑にタダで入れる穴を見つけて遊んだり、東郷神社の池でザリガニ釣りやったりしてました。あとはなんと言ってもキデイランド!海外の見たことないおもちゃばかりで本当にカッコよかった。置いてあったサンプルを夢中で壊してしまうまで遊んだ。当時はまだ八百屋とか豆腐屋といった同級生の店があって、共存していたよね。今はほとんどなくなってしまったけれど」
恵津子氏の記憶にあるのは、街の「静けさ」と「自由」な空気感、そこに点在していた不思議な人々の姿だ。
和多利恵津子(以下:恵津子):「表参道は今のハイファッションなお洒落とは違う、パリの街中のような雰囲気がありました。一方で、道端で枝なんかを集めて、その場で何かを作って並べている人があちこちにいました。今思うと身寄りのない人だったのかもしれませんが、その様子を不思議そうに眺めていた記憶があります。青山霊園は子供たちの絶好の遊び場でした。昔の話だから言えるけど、みんなではしゃいで走り回って、墓石が倒れちゃったりとか。街全体がどこか自由で、捉えどころのない魅力がありましたね」

奔放な幼少期を過ごした和多利姉弟。そんな街の空気から特別な気配を感じ取ったのは、1970年代に出現したファッションブランド「VAN」の存在だった。
恵津子:「自分の街にああいうものがあるのは、ちょっとおしゃれかもしれないと思いました。社員の制服がかっこよくて、シーズンで変わるんです。季節の変わり目は街を歩くVANの人たちを見ればわかる」

南青山3丁目の交差点にあったVAN本社ビル。奥には本社別館として機能していた「VAN356ビル」も映る。 写真提供:石津事務所
浩一:「高校のときに、母親から初めて買ってもらったスーツはVANでした。当時のファッションは、メンズがアイビーリーグを踏襲したアメリカンなVAN、レディースはヨーロピアンで気品のあるロペ(ROPÉ)と人気を二分していました。VANは1973年に『VAN99ホール』をオープンして、演劇や落語が99円で観られたり文化的にも街に寄与していました。『蒲田行進曲』で知られる、つかこうへいさんの作劇を当時99ホールで観ることができたのは、とても良い環境だったと思います」

VAN356ビルの1F、1974年にオープンしたVAN 99ホール。入場料は99円。席数も99席というストイックな劇場だ。のちの「BROOKS BROTHERS(ブルックスブラザーズ)」が入るビルで現在はアウトドアブランド「GOLDWIN(ゴールドウイン)」の本社が建つ(参照:VAN SITE 356別館周辺図)。写真提供:石津事務所
浩一:「さらにもうひとつ、象徴的だったのはVAN99ホールのすぐ隣にあったスーパーマーケット『ユアーズ』。夜の青山と銀座を結ぶシャトルバスがあって、銀座のクラブのママが買い出しに来る。ダチョウの卵が売ってたり、とにかくアメリカンな雰囲気がかっこよかった。ユアーズが無くなったときは本当にショックでしたね」
店頭で揚げられるドーナツの匂いとともにアメリカ文化の香りが漂うユアーズは、二人にとってのまさに「街の象徴」的な場所だったという。

青山の自由な感性に刺激を受けながら、和多利姉弟は大学生で現在もワタリウム美術館のミュージアムショップとして続く「オン・サンデーズ」を開くことになる。二人を導いた志津子氏からの絶対の家訓とは?
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